記憶の天窓

好きなものの記憶

cinema staffと私の話

 

cinema staffというバンドが好きです。
いや好きどころじゃない感情に襲われることが多々あるけど、わかりやすく言えば「好き」です。
シネマを好きになってそれなりの年月が経ち、そんな何を今更、というところなのですが、最近のシネマはあまりにも良すぎる。

昔がちょっと、とかそういう意味ではない。昔から良かった。ただ、今が最高。多分この先も最高。「最高」を最近すごく身に染みて感じる。私の歳とか、それなりの年月の中での自分の中での感じ方の変化とか色々あるんだと思う。

 

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ガチの枕元(もう数年間ずっとこのまま)

 

 

2014年10月19日

時は約9年前。当時高校生の私は某対バンイベントに行っていた。その頃の私はピープルが大好きで、ほとんどピープル見たさにそこに行っていて、正直シネマに関しては超にわかだった。ピープルと仲良いバンド、くらいの理解しかなかった。一応興味はあったので数曲予習して行った気がする、けど、この時点では「そこまで好みじゃない」と思った。まあ激しい音楽に耳が慣れてなくてすぐ疲れちゃったんですよね。楽しいけど長く聞いていられない感じ。
そこの物販で当時シールが売られてて(出演バンドマンの絵のランダムシール・更にランダムでサイン入りがある)、それをすごい適当な感じで3枚くらい引いたら三島想平のサイン入りを引き当てた。※今思うと三島いっぱいサイン書いてくれてたんだよね、ありがとうございます…

その後初めてシネマのライブを見た。詳しくないから、と思ってすごい後ろでゆるっと見るつもりだった。ZEPP Divercityの段下。見やすくて今でも好きな会場だけど、演者の表情とかまでは見えづらいし雰囲気だけ感じられれば、というつもりだった。

が、そこですごいものを見た。あまり細かいことはもう何も覚えてないのだけど、とにかくとんでもなかった。
漠然としすぎてて何も伝わらないと思うのだけど、見たこともない熱量に面食らってしまって気づいたら腕上げてた。
自主的に腕を上げたくなる感覚というのは人生で初めてだったように思う。それこそピープルは腕を上げないノリのバンドだし、当時既に好きだったバンドは一体感欲しさに上げていた気がする。義務感に近い。
でもシネマを見ながら感じたこの衝動は「自分が上げたいから上げる」の一点だった。当時前方で見ていたシネマのファンもそうだったように思う。一人一人の熱量とステージ上の熱量が一体化してビックバンみたいになってた、その一瞬の光景だけが今でも頭に残っている。
なんだこれ。なんだこれ、すごい。呆気にとられている間にライブが終わって「なんかすごいものを見た」という印象だけが頭に残ることになる。
ライブの前だか後だったか、物販に出てきていた三島さんに会う。さっきサイン入りのシール引けたんです〜という話をしながら買ったポーチにサインをしてもらう。サイン入れてもらったがために購入後数秒で使えなくなったポーチ。今だにベッド脇に置いてある。今思うと三島運が初っ端からすごい。

 


ライブがとんでもなかっただけに、もっとシネマの曲聞きたい!となる。が、前述の通り耳が受け付けなくて一度に色んな曲が聞けない。今となっては信じられない話だが、特にシャウトがだめだった。今まで触れてこなかった領域だけに慣れるのにすごい苦労した。
これに関してはシネマは全く悪くない。単純に個人の音楽経験値と好みの差だと思う。どちらかというとポップなものを好んできたし(ピープルは癖強い方だけど)、ハードめな音楽は聞いてこなかったので、この手の音の激しさはシネマが初めてだったのである。
だが何としても聞けるようになりたかったので、一日三曲、から始めた。慣れるまではそれが限界だった。
そこまで無理して聞く必要ある?という感じだが、そこまでしてでも聞きたかったのである。何故だったのかは今となっては知らん。当時の私の謎の執念だった。

 

 

2015年6月26日

『blueprint』がリリースされ、初めてシネマのワンマンに行く。元々どのバンドにしてもベースが好きだったので下手に立つ。まさかその後現在に至るまで下手に執着するようになるとは知らず。

初めて前方で見るシネマはやはりすごかった。あの日と同じZEPP Divercityでも、あの時遠くから見た衝撃の比じゃない圧が間近で広がる。
めちゃくちゃ音でかいし激しいしまとまってるのかもわからん、けど、小さくまとまるくらいなら爆発してやる、くらいの気迫。絶対にシネマでしか感じ得ないものだった。

この日のアンコールで飯田瑞規が泣いていた。曲中とかじゃなく、曲始める前のMC中に。ステージ上でこんな素直に泣き出す人いるんだ、と思うと同時にめちゃくちゃ純粋なんだな、と漠然と思った。
(ものすごい余談:この時のこととか、後の休養とか思い出す度に、今ライブ楽しくて終わりたくない!てなる飯田瑞規の姿が嬉しくて仕方ない。そんな未来が来てよかった。)

泣き出した時にステージ上には飯田さんと三島さんしかいなくて、三島さんどうするんだろう…と思いながら見たら、三島さんは少し顔を伏せたまま腕を組んで泣き止むのをじっと待ってた。何か言うでもなく目すら向けずに待っているのを見て、なぜかわからないけどすごい安心した。この人はこういう時にフォローしたりするのではなく、「待っててくれる」んだ、と思ったらこの人についていきたい、と思った。
今思い返すとこの日のライブは多幸感だけではなくて、焦燥感みたいなものすら感じて、いい意味でかなり泥臭かった。それが好きでこの日のライブ映像が入ってるDVDを今だにしょっちゅう見ている。

 

 

その後、リリースツアーの東京公演には必ず行ったり、たまに対バンを見に行ったりとそれなりにハマる。
が、実はそのまま今に至るまで絶え間なく定期的にライブに通っていたかと言われるとそうでもない。
2018年〜2019年頃の私はアイドルにハマっていたので極端にシネマのライブに行っていなかった。別にアイドルに夢中になってた時間が無駄だったとか言いたいわけではない。アイドルのことは今も大事だしもっと要領良く両立することだってできた。そこに後悔がないわけではない。今のシネマの良さ見てると「なんであの時、」ってならないわけないじゃん。すごい良いんだもん。行けそうなタイミングは何度かあったのだけど色々あり、結局ちゃんとライブに行けたのは2019年のベストツアーだった。

 


2019年11月16日

この日のライブが本当に良かった。実はこの日も直前までアイドルのライブを見ていて、その足で急いで渋谷に出た。整番も別に良くはなかったし、会場は渋谷クアトロ。お察しの通り無理に下手に行くとかえって何も見えないので、無理せず真ん中らへんに適当に立つ。
正直、まあシネマのライブなら勝手はわかってるし、と油断していた。すごく単純なことに開演するまで気づかなかった。
わたし、真ん中からシネマのライブ見たことない。

こんなに飛び出してくる辻さんを真正面から見たのは初めてだった。人波の中に突っ込んでくる辻さんがありえんくらい立体(それはそう)で、キラキラしてて、眩しかった。その奥に見える久野さんも笑ってて、久野さんってこんな顔しながら演奏してるんだってことも初めて知った。そんな当たり前のことにこの時気づいた。

この人たちはなんて眩しいんだろう。こんなに迸っているんだろう。考えているうちに泣けてきてしまって一周回ってしんどくすらあった。
ちゃんとこの人たちを見てないと駄目だ。追いかけていないと駄目だ。そう思って再びシネマに舞い戻ったのだけど、程なくしてコロナ禍がやってきた。

 

 

2022年10月8日

過呼吸一歩手前状態で電車に乗っていた。2020年頃からの不調でかなり体調に波があるのだが、数日前に色々あった影響でこの日は確実に「良くない」日だった。それでもどうにか意地で向かったのは野音に立つシネマを見たかったからだった。2017年に見たときは雨だった。この日は雨天日と雨天日に挟まれた曇り。雨日にライブが被りがちなシネマにとって奇跡みたいな天気だった。

開演ギリギリまで微妙な体調が続いていたのだけど、始まった瞬間に全部治った。ライブハウスじゃなくて野外だったのも幸いしたのかもしれない。でもそれより、好きな人たちが出てきて、好きな音が鳴った途端にあらゆる不調が全部蒸発した。
この日の一曲目はdramaだった。初めてワンマンを見たあの日を思い出した。

自分の性格って自分が決めてるんじゃくて他人が決めてるのかも、の話を飯田さんがしていた(飯田瑞規のこういう話大好き)。
優しい人だねって言われるから優しくなる、とか。俺らはかっこいいって言ってもらえる(もらいたい)から、かっこよくいるんだよ、てな感じの話。
※解釈違いだったらすみません、私はこう受け取ったよ、という話が以下。
ファンとして、応援してる相手(アイドル、バンドマンなんでもいいけど)に自分の意識が作用してるって考えたことあるだろうか。
正直ファンはかっこいいと思った時からかっこいいフィルターがかかってるから、何しててもかっこよく見えるのよ。黙って立ってるだけでかっこよく見えることだってザラだし。でも実はフィルターをかけてるのはこちらだけじゃなくて向こうもで、かっこよく見えるようにしてくれていた。私がアイドル追ってた時期も変わらずそこにいてくれて、離れなくて、離れてくれなくて、ずっとずっとかっこよくいてくれた。
私がcinema staffをかっこいいと思っていたのは何も間違いではなかった。と思ったら涙がぶわあとなってしまってめちゃめちゃ急いで引っ込めた。好きになって何年も経つけれど、ずっとそばにいてくれたね。

最後まで雨は降らなかった。少し曇った空を見て「ざまあみろですよ」と笑った三島さんの顔が大好きだった。ここに来るまでに抱えていた色んなものが、その顔で救われた。
帰宅して部屋から見上げた月が綺麗だった。そんな夜だった。

 


そんな野音の数日後にシネマ本体とは関係ない現場で、私は三島想平と出会えてよかったと本気でしみじみ思うことになるのだが、ものすごく長くなるのでそれはまた別のお話。

 

 

2023年8月6日

祭りでやたら浮かれまくっている水戸にいた。ライブハウス以外の人混みが本当に苦手だし暑いしでまたしても開演直前までくたばりかけていた。
が、この日また私はとんでもないライブを目にする。

水戸LIGHT HOUSEは入口〜ロビーのコンパクトさからは想像できないフロアの造りをしていた。天井が高く、二階まである。三島さんが「ライトハウスも相性いい気かするんですよね」と言っていた(詳細は省くがこの少し前に三島さんとちょっとだけ直接話す機会があった)意味がわかった気がした。小箱のシネマと広い会場のシネマのいいとこ取りをできる。
始まった瞬間こそ多少の緊張感はあれど、二曲目あたりから動揺してしまった。

飯田瑞規ってこんなに声出るっけ??

いつものライブですら飯田さんの声はすごい。この轟音に負けない力を持っている。ただ、今日はなんか違う。伸びと張りがえげつない。上手にいたら吹っ飛ばされそうだ。

その声に呼応するように楽器隊の気迫が増す。シネマは普段からすごいけど、時々こういう言葉で形容しがたいえげつなさを発揮してくる瞬間がある。今日はその瞬間が終始続いている感覚。
「なんか今日すごくない!?」と興奮気味に飯田瑞規が言うのを見て笑ってしまう。すごいのはあなただ。

このツアーはここまでアンコール一曲だったのだけど、この日は一曲目終わりでまだ音が鳴り止まなかった。三島さんがマイクスタンドをフロアに下ろすのを見てフロアがそわっとするのがわかる。

Poltergeistだ、とわかった瞬間に前方に人が押し寄せるのをにやにやしながら見送った。大体体調が追いつかないから私はこういう時行かない方だけど、喜んで走っていく人の後ろ姿が大好き。
アンコールのPoltergeistというと、コロナ前はもう後はどうなってもいい、って時、要は最後の最後で繰り出されていた気がするのだけど、近年は本編に入ったりそもそもやらなかったりしていた。だからこの段階のPoltergeistは嬉しくて仕方なかった。今日いける、と判断してくれた気持ちが嬉しかった。ここまで演者とフロアの「今日やばい!いける!」って感覚が一致したのは初めて見た。

終演後、急足で帰路を歩きながら堪えきれない声が漏れた。街が祭りでよかった。多幸感で多少呻きながら歩いている人間など誰も気にしない。
この夜が一生続けばいいのに。この感覚をずっと自分のなかで一秒も忘れずに閉じ込めておけたら。冗談抜きに思った。すごくすごく大切な日だった。

 

 


そんな水戸公演で感情が溢れかえって、今。唐突に「そうだ、今までを振り返ろう」と何の脈略もなく書き始めた、ただの日記。
何が言いたいかというと、cinema staffっていつ見てもかっけーな、大好きだわ、と、ただそれだけのことなんです。
きっと今私が愛しくてたまらない水戸公演も超えていく日がやってくる。どんどんかっこいいを更新していく。この人たちをずっと見ていないと駄目だ、と思ったのは間違いじゃない。ただ、「見てないと駄目」は私の感覚の話で、実際ちょっと離れたくらいじゃもう離してくれないのは知ってる。一回離れたから気づいた。もう大丈夫。ずっと好きでいられる。

 

ずっと大切。

 

 

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おかげさまで出会った日をずっと覚えていられる