記憶の天窓

好きなものの記憶

推しの話

 

私、推しのことすごい好きなんです。


顔を見て咄嗟に「可愛い!」て言っちゃうのはミキちゃんだし、
いっぱい優しさをもらった思い出があるのはぺいちゃんだし、
携帯の待ち受けにしてる率が高いのはきまるさんだし、
本当に?て思われそうなことは多々あるし、箱推しなのかなって自分でも何度も思ったけど、


でも私の一番は白鳥白鳥です。

 


私はバンドの界隈の出身で、バンドの界隈に推し云々という概念はあまりなくて(ぼんやりあるけど大きく公言するものではない)(ビジュアル系はあるのかな、よく分からないけど私はビジュアル系じゃない方のバンド出身です)、だから好きな相手に直接「好き」と言えてしまうこの世界が信じられなかった。今でもあまり信じられない。
推しに「好き」って言うの、なんだか少し恥ずかしくて、最初はあんまり言うつもりもなくて、本人にバレてしまったのはほぼ事故みたいなものだったのですが、あなたを推して本当に良かったな、と今では思います。


アイドルを好きになったことのない私は愛し方が全く分からなくて、人に習ったところで愛し方も個人差があるから丸きり同じにはできなくて、全部手探りでここまで来ました。私とあなたで見つけた「今」です。
これは私に限った話ではなくて、各々、「推し」と「推している人」の関係があって、その間だけで作られる「今」があって、多分それは、それだけは、その本人たちだけのものだよ。


私は大きな声を出すのが苦手で、というか出すような人間じゃなくて、バンドの界隈でいくら煽られてもほとんど口パクで応えて、自主的に大きい声を出したのは中学生の頃の演劇部で舞台に立っていた時くらいでした。だから己のポテンシャルとして大きい声が出るのは分かっていたけど、なんか恥ずかしいし、疲れるし、て思ってたんです。
でも白鳥白鳥を好きになってから、何度かライブに行く中で、周りのコールとか見て、これができたらどんなに楽しいだろう、幸せだろう、て思ったんです。
明確にコールを叫べるようになった瞬間はちゃんとは覚えてないんですけど、でも、好きな人の名前を好きな人に合法的に叫べる。それってすごいな、て今だに考えます。「おーれーの!」が出来るようになるのはその更に後。これもすごいですよね。その瞬間だけこの人は自分のもの、て言っていいんですよ。アイドルのコール文化すごい。


「初めて好きになったアイドルが二丁魁でよかった」と、一度だけ本人たちに言ったことがあります。でも本当は何回だって伝えないといけない。
つい最近活動中止したバンドが、最後のライブで「何歌っても届いてる感じが全然しない」ともがいていたけど、その気持ちは大いに分かって、伝える側は伝わっている実感が圧倒的に足りない。本人たちに伝わっていようといまいと、伝わっている感じがしない。
もうこればかりは、誰かに何かを伝えたい気持ちがある以上どうしようもない。一生逃れられない。受け取った側が「伝わってるよ!」て言ってくれるのなら、もうそれを信じるしかない。でも別に構わない、伝えたいんだから伝え続けるしかない。
だから私は「好き」も「可愛い」もたくさん伝えるんです。言葉にできることは言葉で伝えていきたい。
感情豊かでライブ中に表情がコロコロ変わるところも、いつも綺麗な歌声も、フロアを見回すキラキラの瞳も、丁寧に接してくれるところも、全部全部大好き。


そうやって愛情表現を模索しているうちに、推しの誕生日が10月だと知りました。推しの誕生日まで、ちゃんと好きでいられたらいいな、て思いました。純粋で真っ直ぐで素敵な私の唯一無二の推し。そんな人の誕生日を祝える世界を見てみたかった。


出会いの春と、怒涛の夏を超えて、秋に差し掛かった今日。
誕生日おめでとうございます。
ステージに立つあなたの姿を見ることが、私の大きな喜びです。
明日も、それから先も、あなたがたくさんの人に愛されて幸せでありますように。