記憶の天窓

好きなものの記憶

初めて名前を呼ばれた日の話

 

2018.5.22
THEATER GAY LIVE

 

初夏の坂道を駆け上りライブを初めて見て、四人と会ってから約二週間が経った。
私は物心ついて初めて着る真っ赤な服を着て電車に乗っていた。鏡で見た時は大丈夫だと思っていたのに、外に出た途端に似合っているか不安になる。この服を買う時、母には気が触れたのかと思われた。何せ私が普段着る服は黒か青、おおよそ暖色の服を買うということはまずありえない。しかし初めて四人を見た時のピンク衣装の衝撃が頭から離れず、赤かピンクの服が欲しいと念仏のように唱え続け、どうにか手に入れたのがこの服だった。特段派手な服ではない。むしろシンプルなのだが、私が赤い服を着ているという状況の異様さに自分で困惑していた。


かくして私は秋葉原に向かっていた。これもまた私にしては異様な状況だった。自宅から特別遠いわけではないが、行ったことのない地だった。嫌悪していたわけではなく、単純に用がなかった。アニメにもメイドにも電気屋にも特に興味はなかった。強いて言うなら駅のミルクスタンドにとても惹かれた。(私はバイキング等のフリードリンクで牛乳があると飛んで喜ぶタイプである)
そんな私がなぜ秋葉原に向かっているかというと、無論ライブのためだった。アイドルのライブを見るために。母には六本木でバンドのライブを見ると言ってある。当時母にはまだ私がアイドルにハマった事実を伝えていなかった。
秋葉原の駅に降り立ち、ミルクスタンドでひとしきり(心の中で)(一人で)はしゃいで、改札を出た所で既に自宅まで引き返したくなった。そのくらい秋葉原の町が持ってる空気の不思議さはすごい。
メイドが平然と道端にいる中を早歩きで通り過ぎて、ようやく会場にたどり着いた頃にはへとへとに疲れ果てていた。そして早く来すぎたからか、まだほとんど人がいなかった。とりあえずチケットを引き換えて廊下でぼんやりとしていると、徐々に人が集まってきた。集まってくる人も、私が過ごしてきた界隈とは全く雰囲気が違くてそれだけですごく怖かった。年齢とか関係なくみんな可愛らしくて服の色味が明るい。
近くにいた人たちの整番の話が聞こえ、廊下の隅にあったお手洗いに飛び込み、そこに閉じこもっていた。引き換えて財布にしまい込んでいたチケットを確認する。『12』の数字の重さが指先にのしかかった。行きなれているバンドのライブなら、ここまで動揺しない。これより良い数字を取ったことも数回ある。しかしここはアイドルの現場だ。脳裏に二週間前のライブの景色が蘇る。あれに馴染める自信は皆無だった。

 


開場時刻が近づいてお手洗いを出ると、人で廊下がいっぱいになっていた。番号故にすぐに入場待機列に並んだが、気さくに話しかけ合う人たちの中孤独に並ぶのが気まずくて逃げ出したくなる。
いざ会場に入ると、今まで見たことのない仕様に困惑した。着席と聞くとホールの一人一人区切られている席しか見たことがなかったのだが、ここは区切りのない長い椅子が並ぶ会場だった。「ライブで良番とったら最前行く」という私の個人的な固定概念からか、あれだけ怖がっていたわりには自然と上手最前の椅子目がけて歩いていた。
席に座った後、隣にいた人の友達らしき人がほんの少し後から来た。一つ隣にずれてその人を入れた。お礼を言われたが全然構わなかったしむしろもっと端でもいい、しかし見えないのは嫌だ、という葛藤を頭の中で繰り返していた。隣に来た人の「今背骨折れてる」話を盗み聞きして気を紛らわせていた。骨折してるのにライブに来て大丈夫だったのだろうか。(背もたれのない椅子に座れるくらいだから元気だったのだろうが)


開演までの間、物販に行こうと決意して席を立った。なお私の緊張状態は続いている。何せ買うものが多い。CD2枚(この時はGAY②までしか出ていない)、写真集、できればランチェキ。チェキ券はCDと写真集に付いてくる塩チェキ券をその場でグレードアップしてしまおうと思っていた。思うまではいいが、注文が多い上にややこしいことに並んでる中で気づいた。ほとんどの人がチェキ券とランチェキの購入のみで済ませる中でこの注文量は物販のお姉さん方にとても申し訳なかったが、すごく丁寧に会計してくれた。この頃は新規列とかなかったが、恐らく私はどう見ても新規だっただろう。
席に戻ってから写真集の後半のページをチラッと見てしまい、己の首を締めて緊張状態を加速させた。
ふと顔を上げると柵が目の前で、ステージが本当に近い。心拍が自分でもわかるほど尋常じゃない速度になっている。さっき飲んだ牛乳が戻ってきそうで、ドリンクでもらったオレンジジュースを流し込んで気を紛らわせていた。

 


目の前が暗くなってついに緊張で倒れたか、と思ったが単に会場が暗くなっただけだった。始まる。
ぺいちゃんのアナウンスを聞きながら、ステージ後方のモニターに映っているGAYのロゴマークの白い光をじっと眺めていた。盛り上がる準備できてる〜?とかに全然応えられない。どう足掻いても声が出なかった。
始まって、四人が出てきた瞬間に目が眩んだのは照明のせいだけじゃなかったはずだ。TRPでも見た、真っピンクの衣装が今日は最初から目の前にあった。黒、グレー、紺、みたいなバンドマンの暗い色味の私服ばかり見て過ごしていた私にはやや目に痛くて、でもとてつもなく可愛かった。
振りもコールも全く分からなかった。ただ、振りコピはできるようになりたい意思があったので、ついていけないながら小さく踊った。真似してみて分かる、指の閉じ方、動き方、振付の細かいこだわり。私の知っている『アイドル』とは明らかにキレが違う。(当時の私はミキちゃんが振付師とかもあまり理解していない)
『マイノリティーサイレン』で私は知らない人と肩を組んでいいのか、と思ったが両隣から腕が回ってきてこれは逃れられないと悟った。背骨が折れてる隣の人にも気をつけながら腕を回した。
その後数曲毎に衣装を2回変えてくれたのだが、四人で着替えタイムに入って、ウエディング衣装で一番最初にカーテンから出てきた推しの姿を未だに思い出せる。当時の私はウエディング衣装が一番好きで、見れること自体が夢のようだったのだが、とにかく推しが綺麗すぎる。
そのまま入った撮影可能の『病める時も健やかなる時も』が本当に良かった。私はこの時、この曲の振付は初見だったのだけど、優雅で可愛くて楽しそうで、終始幸せだった。ミキちゃんと推しに目線をもらったのは幻覚のような気すらしたが、写真を見直す限り幻覚ではなかったようだ。

 


終演し、しばし放心した後、チェキ列に並ばなければと思いどうにか立ち上がった。列は既にフロア内の外周の半分くらいまで伸びていた。
戸惑いながら最後尾の札を受け取る。前のお兄さんは立派な一眼に収めた写真を見ながら可愛さに悶えていた。
チェキなんて撮ったことなかった。高校の頃周囲で流行っていたが、私はそんなものを使う相手もそもそも友達もいなかったので、触れたこともなかった。それなりに長い列だったはずだが、全く長く感じなかった。気づいたら四人が見えてきて、再び心拍が異常な速さになっていた。


囲み、ミキツーショ、ハクツーショ。
周りの人の見様見真似で注文を脳内で反芻し、そのまま口に出してスタッフさんに券を渡す。「どうぞ」と促されたものの大縄に入れない子みたいになってしまった。
そもそもこれは初めましてと言った方がいいのか。一度会ったものの覚えられている定で入るのもいかがなものか。0.5秒くらいで様々な考えが脳内を駆け巡り、結果軽く会釈をして真ん中に入った。
囲みを撮る前か撮った後か、ぺいちゃんが「指輪可愛い」と私の指をまじまじと見ていた。
ミキツーショになって、あまりの距離の近さに心臓が口から出そうになった。すごくいい匂いがする。私の手を摑んだ手が大きかった。「今日すごいいい位置で見てたじゃん」と言われ、驚いたのだが己の口からは「あ、はい」というあまりにもあっさりした返事しか出なかった。
もうここで倒れるかもしれない。と思いながらどうにか意識を保っていると、不意に右横から声がした。
「ぐれこ?」
まだふわふわしている私の肩を軽くつつく指の感触。
「ねえ、あなたぐれこでしょ?」
あれだけ熱が上がっていた自分の体が急速に冷えていく。事態を把握できないまま隣を見る。
白。
白い。
いや、服は黒い。顔が白い。
星空を凝縮して閉じ込めたみたいな瞳が私を見ていた。
全く動けなくなり、「へ?え、なんで」と間抜けな声だけを発した。そこまできてから、右耳に付けてきたイヤリングの存在を思い出して悟った。
『Hく』のキーボードのイヤリング。デザフェスで見つけて、絶対現場に付けていこう!と思った品だった。このイヤリングのことを以前ツイートしたことがあった。しかし、だからといって把握しているとは。まだハマって1ヶ月も経っていないのに。
「これ、ハクちゃんだなと思って買ったんです」
辛うじて言葉になったが、うっかりハクちゃんと呼んでしまう。それすらすぐには自覚できないほどパニックになっていた。
「うん、私これ見たもん」
得意げに言う声を聞きながらツーショを撮られる。一連の衝撃ですっかり腰が抜けそうになってしまい、後ろの壁に支えられながらなんとか立っていた。不思議がる私の横で「私たちネトストだからね」とミキちゃんが言っていた。
別れる直前、「あんたのおなカマネームネトストね!」とミキちゃんに言われ、「わかりました、それでいきます」と答えた。(それでいかなかったけど)

 


廊下に出てチェキを見る。まだ浮かび上がりきっていないチェキをその場で凝視していた。少し全体像が見えてきたところで、恥ずかしくなって目を当てられなくなる。チェキを持ったまま階段を上がり、地上に出た。駅までの道はもう思い出せなかったが、灯りの多い方向に歩くとすぐに見えた。
夢かもしれない、とわりと本気で思った。
目を覚ましたら私はいつも通り自室のベッドでいつも通りバンドの音楽を聞いていて、目に眩しいピンク色もキラキラの笑顔もこの人たちのことが本当に好きで仕方ないかもしれないと思った瞬間も、何もかも知らないままなんじゃないか、と。
現実味の薄い意識と現実を繋いでいるのは、手のひらに収まってしまうたった3枚の写真だった。
TRPの帰り、携帯を抱えて帰ったのと同じように、チェキを大事に抱えて何度か見直しながら帰った。