記憶の天窓

好きなものの記憶

FGM10日目の話

 

2018年8月22日

 

FGM10日目。
ラジオ体操でフォーメーション移動を加えてました。滑らかに移動する感じ、流石だなあと思っていたら、段々体操自体を間違え始めてきてしまっていて可愛かったです。


そんな体操のわちゃわちゃ感からの差がすごかった本編でした。
私が見た二丁魁のライブの中では一番シビアだった。もしかしたら、もしかしたらだけども、見なかった方が良かったと思うくらいには。


『人を好きになれる君は何度でもやり直せるんだ』
イントロの振りの、指を鳴らす部分。近くで見ると指を鳴らすパチンッて音が実際に聞こえるんですが、私はこの部分がいつも「魔法にかける音」なのか「魔法を解く音」なのか迷っていました。
でも今日確信しました。
「魔法を解く音」。
アイドルという概念的には魔法に「かける」方が正解なのかもしれない。けど多分、二丁魁の曲たちから見ると魔法を「解く」方が合っている気が、個人的にはする。今回のライブから見ると尚更。


『ノスタルジスター』
もうこの流れから今回は大人しめのセトリなのか、と思っていました。人好きからの流れだと切ない青春のようだ、と。
でもこのライブが大人しめのセトリとか、切ない青春どころの話ではないことにこの後気づく。


ホモサピエンス
何から特筆するべきか分からないけど、私はこの日の推しの顔を一生忘れないんだろうなと思います。
出だしのパートで、いつも芯が通っている推しの声の語尾が僅かに揺らいで、もうその瞬間に体も思考も固まってしまった。
堪えるようにずっと顔に力が入っていて、瞳が子犬みたいに潤んで、でも絶対大きく泣き出さなかった。声が震えたのもその最初の一瞬だけで、そこから歌声は最後まで張りが通っていた。
推しの泣き顔は映像に残っているものもあるので初めて見たわけではない。元から涙脆い人なのも知っています。でも目の前で感情が揺らぐ瞬間を見てしまって、こっちが動揺しないわけがないでしょう。

そんな推しと対照的だったのがやはり、きまるさん。
髪をくしゃっとさせて、振り絞るようにして歌う姿。推しとは逆で、瞳の温度がぐっと下がって、暗い海底のような色をしていた。
推しやきまるさんだけじゃなくて、ぺいちゃんやミキちゃんも、四人とも、ブレスの位置を見届けられるくらい感情込めて歌っているのが見えて、苦しくて仕方なかった。


『シンポジウムリフレイン』
そんなホモサピの後にこれをやられて、すぐにコールできるほど私は強くなかったです。ギリギリ条件反射で振りコピはしたけど、情緒が追いつかなかった。故にあまり記憶がないです。


『BUG IS LIFE』
この状況でバグズが来てしまって、推しは大丈夫なのか?と思ってしまった。
やはり普段の推し無双のバグズというわけにはいかなかったように見えた。でもやはり綺麗。
大サビ、風を起こして巻き上がる、彫刻みたいに綺麗な推しの感情に溢れた姿。 造形美としての意味ではなく、命の燃え方としてとても綺麗だった。
「だからこそ温かい」の部分のぺいちゃん、顔を隠した指を開いた向こう側でニヤッと笑った。この救いの見えないセトリの中で見てしまった笑顔に鳥肌が立った。次の瞬間にはその笑顔が幻だったかのように真剣な顔つきに戻っていたから尚更。


『マイノリティーサイレン』
このセトリをどう締めるつもりなんだろう、と思っていたら最後がこれでした。
前の5曲の流れからのマイサイは沁みるどころではない。
「人が言うことは〜」からのパートで歌いながらゆっくり目を開くぺいちゃん。虚ろに前を見つめる姿が印象的でした。


傷ついて泥まみれになっても前に進む人。進もうとする人。救いがあるわけではないけど、ないわけではない。
そうだよな、私は二丁魁のこういう無責任に救いを投げつけてこない、一緒に足掻き通してくれるところを好きになったんだよな。ということを再確認しました。

 

 

「なんで泣いたの?」て、無粋だと分かっていたけど特典会で推しに聞いた。「曲がいいから」と言っていたけれど、偉そうながらそれだけじゃないこともなんとなく悟っている。ましてやこの時のチェキであなたとテレパシーしたから。


「好き?」「好き!」てやり取りを去り際に推しとしたら、ぺいちゃんが「私も」と横から出てきてくれました。
嬉しくてヘラヘラしてしまっていたら、「私も」とミキちゃんに後ろから肩を叩かれた。振り向いたら、普段なかなか話せないきまるくんも「私も」と言ってくれた。
似たようなやり取りをした人の話は聞いたことがあったけど、私は初めてやられました。見回した四人の顔が優しくて、あまり見ると今度は私が泣いてしまいそうだったから、「みんな好き!」と言い放って出てきてしまいました。あのライブの後の特典会としては暖かすぎる。


多分私は今後何かある度に、今日のセトリのことや四人の顔や肩を叩いてくれたミキちゃんの手の感触を思い出す気がします。
あまりに苦しすぎるセトリだったから、また同じセトリで見たい!とは思わないけど、今日感じたことをこの先も抱えていくべきだと思っています。