記憶の天窓

好きなものの記憶

追いつけなかった日の話

 

2018年5月1日
一度しかない、一度しかなかった2018年5月1日。
私は追いつけなかった。

 

映像内、開演前のぺいちゃんの影アナの「一度しかない5月1日」のフレーズが悔しくて悲しくて仕方なくてもうそこで泣いた。
画面に映し出されるフロアのたくさんのおなカマさんたちの中にも、ライブ中にメンバーが愛しい視線を投げる先にも、どうやっても私はいない。いるはずがない。いないから。

私はこの公演がある数時間前に二丁魁を知りました。
せめて一日、数時間でも早く知ることができれば。当日の朝に知れば昼には決意してバイトなんて投げ出して行っていた。
追いつけなかった。
映像を見ながら、多分今バイト先でこの作業をして、これをして、あれをして、その間にもずっと二丁魁のこと考えてたな、て思っていた。

「あの日追いつけなかった5月1日に私も追いつけるのかと思うと嬉しい」
と、このDVDの発売を知った直後に思った。
んなわけなかった。映像を見ている間、嬉しいとか一ミリもなくて、悔しいとしか思わなかった。
私はこの会場の熱も感動も直接受け取ってないし、当時のメンバーの挨拶から滲む気持ちも知るにはだいぶ遅いし、可愛い!みたいのが一瞬あっても、それ以外悔しいか悲しいしか考えなかった。
カメラワークカッコいいなあ、とかはあった。でもカメラワークって。私が欲しいのはあの日得ることができたかもしれない自分の視界の定点カメラ。
そんなことばっかり考えていたからずっと悔し涙を流していた。やっぱり来るものじゃなかったかも、と思ったけど、買って家で一人で初めて見るよりはワンクッション置けてよかったかもしれない。


でも全編見終わった後、ぺいちゃんの「5月1日以降におなカマになった人も」という言葉に少しだけ救われた。映像内の影アナで泣かせてきたのもぺいちゃんだけど、現在の私を救ってくれたのもぺいちゃんだった。

推しに「いい映像だった」と言われて頷いておいてこんな感想で申し訳ないのですが、私はやっぱり、あなたの一年間を知り得ないのが死ぬほど悔しいしこれから先も悔しいよ。

もし5月1日に間に合っていたら、という思いで今日の服を選びました。私が一番大好きな服。初めて自分の強い意思で欲しいと思った服です。バンドのライブに来ていくことが多くて、多分バンドの界隈と二丁魁に挟まれていた私が選ぶならこれだろうなと思った。
「可愛い」と言ってくれて嬉しかったです。暴れるのには適さないからもうあんまり二丁魁のライブには着ないと思う。

 

これから先のあなたたちの方が大事だし、5月1日より今のあなたたちの方が500万倍可愛いけど、多分私はこれからも2018年5月1日に執着して生きていくよ。